エッセイ同好会128回定例作品集

2025年4月11日(土)開催 (※到着順)

四季の記憶 108「春のユーウツ」  鈴木奎三郎 

 近くを流れる石神井川界隈は、まさに桜が満開である。ちょうど春から初夏へ季節が移り変わるのに合わせたように、季節は寸分の狂いもなく時を刻んでいく。しかし何かこのところ気分がスッキリ
しない。
「憂鬱」の書き方は、パソコンでは出てくるのに、とてもじゃないけど書くことはできない。「憂鬱」という言葉は、見ているだけでうっとうしくなってくる。
 このところ、友人知人に亡くなる方が劇的に増えてきた。昨年から考えても軽く10人は超える。特に親しくゴルフやマージャンで遊んだ従兄弟が、闘病半年で亡くなった。東大の建築から清水建設
に進みお酒とたばこが大好きな親友だった。亡くなってから1週間ほど葬儀ができないでいた。葬儀場が混んでいてすぐにはできないのだそうだ。
そこではじめてお目にかかった息子さん二人は、横顔に彼の記憶を託している。ゴルフも含めて、いろいろな思い出が残っている。
 まあ、トシを考えればそういうことなのだが、これが永遠に続くことはない。それもあって、この春はこれまでに記憶にないくらいの憂鬱な季節となっている。親戚縁者から何か電話があったりする
と、よくない知らせではないかとひやりとする。孫の進学、マージャンの誘いなどはともかく、このトシになるといいことばかりではない。むしろ残念な事柄が多くなる。
トシをとるということは、自分も含めて周りの情景が少しずつ変わっていくことなのだ。
せめて駄句でもひねって気分を変えようか・・と思ったりするが、なかなか秀句には至らない。やる気と気分が充実してこないと、俳句もなかなか、これは・・・というものができない。そろそろ筆
終いの年なのだろうか。
 いずれにしても、春は桜が満開なのに、何かしら気ぜわしく憂鬱な季節である。花に集まる小鳥たちは、無条件に嬉しそうだ。

梅の香も乗ってきそうな青梅線
春なれば背筋伸ばして散歩かな
ママチャリのスピード恐ろし散歩道

風呂 あれこれ (2/2)   華岡正泰 

  1970年大阪転勤 六甲山系甲山麓 西宮市上ヶ原の社宅に住まいした。 数か月後僚友の案内で京都を訪れた。最初に向ったのが京都の岩風呂。洞窟に設けられたサウナ、 蒸風呂だった。ダイエットなど健康に良いと言うのだが 敷き詰められたゴザに他人の汗が染み込んでいる様に思へて二度と行く気はしなかった。練稲旅行部の南九州旅行で鹿児島に行った時 皆は砂風呂に出掛けたが 私は砂が京都のゴザに思へて遠慮した。
 
1983年 中国 安徽省宿県県令に招かれて出張した。県令以下来日の際世話をしたお礼にと招かれたものだった。上海からの夜行で夜が明けたところが宿県 駅のプラットホームに迎えの車が乗入れられていた。賓客扱いだった。肉を買ってくれと屠殺場に案内され閉口したが それより参ったのが夜の宴会。日本人は上海蟹など蟹を好むが当地の池にも居るので持つてきたと言うのだ。海老 蟹の食あたりは大変と聞いたことがあり恐る恐る口にした。宴たけなわとなり 強い芳香、アルコール50度以上のマオタイ酒が運ばれて来た。この強いアルコールでの蟹の消毒を思い付いた。浅はかだった。部屋に戻ると身体じゅうからマオタイの臭い。洗髪しようと浴室に入り蛇口をひねるもぬるま湯 それを浴びたが今度は断水。宿県にはまだホテルはなく 泊まったのは公務員の宿泊所だった

 
中国出張の7年前の1976年。 あのロッキード事件で全日空の会長 社長が国会に呼ばれたことがあった。その翌日嫌な仕事での福井出張の予定があり 資料を持ち帰りテレビを見ながら仕事をした。12時過ぎに風呂に入ると胸が大きくドキドキ。頭だけは洗はうとシャワーを浴びたら今度は頭が破裂した 凄い痛み・・・。気がつくと足元で親父と妹の話声。全てがわかった。28日間も失神していた。くも膜下出血だった。風呂嫌い 恐れはこの日から始まった。倒れたのは頭へのシャワーだが直後失神。入浴時の胸ドキドキは正気中 ここから大事は始まった。だから私は風呂が怖いのだ。風呂に入って疲れをとる。あれは逆だ。風呂は今までの疲れを引き出す。それを治すのだ。
風呂場での突然死 ヒートショックや長風呂が原因。入浴は楽しむものではなく要注意。
欧米人のシャワーファーストは理に適っているのではなかろうか。
 
私の風呂嫌い恐れはあの大病からだが 無精者の面倒さもあるかも知れない。それに風呂掃除は大仕事 私ではなく家内の仕事。私が年間5か月程もシャワーで過ごすのは 暑い国での海外生活からの流れではなく 家内の仕事を減らそうとの思いもあるからである。
 国内の温泉地 あちこち訪れたが 何故か 特に良い思い出はない。京都の岩風呂 鹿児島の砂風呂に通じるものがあるのかも知れない。              おわり。

オレたちバブル・エンジョイ組      藤井正行

 2月早暁の冷気に身を震わせながら電車を乗り継ぎ、通学に急ぐ学生たちに押し出されるように東川口駅の集合場所にたどり着いた。バブル時代の浮かれた習慣から卒業できない、いつもの『学院』のゴルフ仲間が集結・・・私たちは、池井戸潤『オレたちバブル入行組』の主人公『半沢直樹』の敵役の世代。組織の中で脂が乗り始めた年頃に日本がバブル経済に突入し、仕事も長時間ハードにこなしたが、接待費+自分の金で毎晩のように楽しく遊びまわった。

 車で1時間ほどのゴルフ場。風もなく穏やかなゴルフ日和。「俺たちの清く正しい行いを神様が見ている」などと勝手なことを抜かす4人。いまどき、ゴルフやって、居酒屋で反省会やって、カラオケ屋で歌って踊って締めるような輩はいないだろう。就職氷河期の後輩から『バブルを謳歌した勝組』などと羨ましがられ、悪癖が抜けないのだ。

『黒霧島』のお湯割りを片手に始まる反省会。本日は5枚の負け。練習もせず、2か月に1回のラウンドでは上達するわけもない。しかし私の活躍の場はここからだ。

 最近の若いアスリートの超絶パフォーマンスに飲兵衛親父たちは熱弁を振るう。中でも特筆すべきは大谷翔平。ベーブ・ルースを凌ぐ二刀流・・・160キロを超える速球、ホームベースを横断するスウィーパー、ホームラン50本以上、本塁打王・打点王・・・世界中の野球少年の憧れで、いまやメジャー全体の経営に多大な貢献をしている。

「テック業界では有名は話なんだけど」と私は切り出す。「大谷選手の尊敬する人物の一人はアップル創業者のスティーブ・ジョブズ。彼の言葉を頭に叩き込んでいるそうだ。」

 それは、ジョブズが癌の手術を受けた翌年、56歳で亡くなる6年前に、スタンフォード大学の卒業式で披露した伝説的なスピーチだ。彼の人生を語る3つの物語。

『点と点を繋ぐ』:大学を中退し、カリグラフィ(字を美しく見せる西洋書道)の講座に没頭。後にパソコンに美しい書体を導入する原点となる。将来を見据えて点と点を結びつけることはできない。しかし過去に夢中で努力してきたことを今に結び付けることはできる。過去に精一杯努力したことに無駄などない。

『愛と喪失』:自分が育てたアップルを首になり途方にくれる。が、自分は自分の仕事を愛していると再認識し、ゼロから再出発。ピクサーを立ち上げ、映画『トイ・ストーリー』が大ヒット。やがて再びCEOとしてアップルに復帰し、IPHONEなどで世界を席巻。

『死』:毎朝、鏡に向かって自分に問う。「今日が最後の日だったら、今やろうとしていることは本当にやりたいことだろうか?」と。あなた達の時間は限られている。他人の人生を生きることで時間を無駄にしてはいけない。あなた達は、あなた達が本当になりたいものを既に知っている。自分の心に従う勇気を持ちなさい。貪欲であれ、愚か者であれ。

「未来ある青年に伝えたい言葉だね」と、カラオケ屋に向かう飲兵衛親父たち。   (終) 

この漢字何って読む?   渡辺 徹

 2026年正月、BS(衛星)チャンネルモードで、BSチャンネル一覧を観ていたら、BS12という、今まで
聞きなれない、見たこともないチャンネルがあった。
番組紹介をみていると、「BS12トゥエルビでは、2024年ヨーロッパで公開・配信された最新ドラマ
版『モンテ・クリスト伯』を、2026年1月4日から独占日本放送します』というテロップが流れた。
モンテ・クリスト伯って何だ?と家内に言うと、「壮絶な復讐劇で有名な話で、日本では”巌窟王
“の話として知られている」…と。
 巌窟王なら小学校の時、読んではいないが、言葉だけは知っていた。よ~し世界的な名作らしいか
ら読んでみようという事になり、まず先に映画を見ておけば、作品を読むのに理解しやすいだろうからと、1月4日からのBS12独占日本放送を見てから、アレクサンドル・デュマ(1802年~1870年)作、モンテ・クリスト伯全7巻を、メルカリで購入、読み始めた。
この本自体は、1844年~46年にかけ、フランスの新聞に連載され、同時に出版され、日本では1902
年頃から翻訳されて、たまたま購入した岩波文庫版(山内義雄訳)1956年初版が代表的だそうだ。

 ところが、名作はみんなそうなんだろうけれども、兎に角登場人物が多く(一人3役の人もいて)、
メモッた人名は、60人~70人。だったらちゃんとノートに名前と、役柄、と相関図を整理しておけばよかったと思ったが、そのまま強引に読み進み、結果完読するのに、約3ケ月もかかってしまった。
 更に読み進めていくのに、閉口したのは、難漢字との遭遇だ。訳者山内義雄さん(1894~1973年)っ
てどんな人かとネットで調べたら、東京外大卒、早大教授だったという。スマホ「漢字の読み方」アプリを駆使してやっと解読、読み終えた。もう4/11がエッセイ同好会だ。ということで表題を”この漢字なんて読む“とした。
 
 ざっと調べた難漢字を列挙すると、
1、 贖罪、2、擲つ、3、教誨師4、罪咎、5、菫、6、佩剣、7掃蕩、8、漲る、9、塋屈、10、截然
、11、龕、12、閂、13、交趾、14、象嵌、15,嘴、16、駐箚、17、操觚、18、豌豆、19、鴉片、20、布帛、21、外袍、22、雄渾、23、采地、24、出来星、25、拇、26,暗澹、27、癲狂、28、跪く、29、簒奪者、30、絇、31、縷32、紅蝋、33、炯々、34、吃水、35、足掻、36、錚々、37、一揖、38、連銭葦毛、39、目睫、40、椿事、41、赭毛、42、跛者、43、鏤める、44、青天鵞絨、45、槲、46、嚙煙草、47、橡、48、蕪れる、49、紱、50、紊れる、51、蘭引、52、龗、53、鎮痙、54、嚥下、55、英邁、56、秣、57、障碍、58、反騃、59、燗眼、60、烱眼、61、翅、62、蟇、63、蹶起、64、大蝦、65、柘榴、66、金象嵌、67、爵、68、湮滅、69、蓬々 70、猊下、71、癩狂院、72、攀登、73、嗜眠、74、諧謔、75、梳く、76、提琴、77、衛戌兵、78、鵞ぺん 79、踪跡、80、雷霆、81、雪冤、82、犢皮紙 etc…1~82の読み仮名は裏面を参照してください
 
 この本自体、初版が1956年、という事は、私がちょうど5歳の時なんだけれども、難漢字の多さに愕
然とした。発刊当時にこの本を読まれた方って、きっと優秀な人たちなんだろうな?

昔、電車の中刷り広告に、集英社だったか、岩波文庫だったか、新潮社だったかは忘れたが、「困
った時に
は、本を読む」というキャッチフレーズのコマーシャルがあったが、これは困った、重症だ。
歌ばかり歌っていると「馬鹿になる」なんて冗談を言っていられない。
まず先に名作映画を見ておいてから、作品を読む。それも今回の経験を活かし、ちゃんとノートに
名前と、役柄、と相関図を整理して理解していく。早速これから実行だ!!
                                             
                                          了

読み仮名一覧
1、 しょくざい、2、なげうつ、3,きょうかいし、4,ざいきゅう、5、すみれ/とりかぶと、6、はい
けん、
7、そうとう、8、みなぎる、9、えいくつ、10、せつぜん、11、がん、12、かんぬき、13、コーチン
、14、ぞうがん、15、くちばし、16,ちゅうさつ、17、そうこ、18、えんどう、19、あへん、20、ふ
はく、21、がいほう
22、ゆうこん、23,さいち、24、できぼし、25、おやゆび、26、あんたん、27、てんきょう、28、ひ
ざまずく
29、さんだつしゃ、30、くつかざり、31、いと、いとすじ、32、こうろう、33、けいけい、34、きっ
すい、35、あがき、36、そうそう、37、いちゆう、38、れんぜんあしげ、39、もくしょう、40、ちん
じ、41、しゃぐま、赤熊、42、ハシャ、43、ちりばめる、44、あおビロード、45、かしわ、46、かみ
たばこ、47、とち、くぬぎ、48、あれる、しげる、49、ひも、50、みだれる、51、らんびき、52、お
かみ、かみ、53、ちんけい、54、えんか、55、えいまい、56,まぐさ、57,しょうがい、58、はんし
、59、かんがん、60、けいがん、61、つばさ、62、ひきがえる、63,けっき、64、おおえび、65、ざ
くろ、66、きんぞうがん、67しゃく、さかずき、68、いんめつ、69、ほうほう、70、げいか、71、て
んきょういん、72、はんとう、73、しみん、74、かいぎゃく、75、(髪を)すく、76、バイオリン
、77、エイジュヘイ、78、がぺん、79,そうせき、ゆくえ、80、らいて
い、81せつえん、82、とくひし。。

お助けマン募集中    照山忠利

 成年後見制度がいま大きく変わろうとしている。政府は4月3日、民法改正案を閣議決定した。認知症や知的障害などで判断能力が十分でない人たちを支える成年後見制度を、使い勝手をよくして利用しやすくしようというものだ。たとえば現在は、制度を利用した場合途中でやめられない仕組みになっている。判断能力が回復すれば別だがそうした事例はまずないので、死ぬまで利用し続けなければならない。その間後見人に対して毎月数万円の報酬支払いが発生するので、年金生活の高齢者にとっては重荷となる。これが制度利用の妨げとなっていることから、改正案では理由があれば途中でやめられるようにしようというのである。このほかにもたとえば「遺産分割」や「不動産の処分」といった特定の事
案ごとに限って支援できるような規定も盛り込んだ。
 成年後見制度は2000年に、それまでの禁治産制度に代わって制定された。超高齢社会を迎えたわが国において、介護保険制度と共に車の両輪と期待されて発足したものだが、四半世紀を経ても利用者数は25万人程度にとどまっている。片や介護保険制度は700万件超と大きく伸びており、とても両輪とは言えない形となっている。そこで今回、成年後見制度の利用促進を目的とした法改正となったわけだが、政府は今国会に法案を提出し、成立すれば2028年度中に新制度の運用をはじめるとしている。
 私が代表を務めるNPO法人成年後見のぞみ会は今年、創立13年を迎えた。会社員生活を退いてから、何か社会貢献活動をしようと思い飛び込んだのがこの世界。折から東大の市民後見人養成講座に応募したのが始まりだった。「おい照さん、半年間東大に通って研修を受けたら安田講堂で卒業証書を貰えるらしいぜ」という会社先輩の甘言に乗せられ、7万円の受講料を払って本郷に出かけて行った。法文1号館の大教室に全国各地から400名の受講生を集め、一大社会運動でも起こそうかという熱気があふれていた。
 半年間の講座終了後、さすがに安田講堂での授与式はなかったが、受講生はそれぞれの地元へ帰り成年後見制度の普及啓発活動から、さらに市民後見人をめざすNPOを設立すべしとの指導方針に則り、仲間6人で練馬の地に「成年後見のぞみ会」を立ち上げた。なじみが薄くとっつきにくい印象の成年後見制度を、いかに易しくわかりやすく説明するか手探りで始めたものだ。以来幾多の星霜を重ね、今では活動の領域を「後見人養成講習会」、「講演会」、「終活関連事業」等にウイングを拡げ、練馬区でも少しは知られる存在となった。全くのボランティアで何の見返りもない純粋な社会貢献活動だが、志を共にする仲間は35名ほどを数えている。日常的に活動しているのはこのうちの13名。私も発足以来代表を務めてきたので、法改正を機に後進に道を譲りたいと願っているものの、なかなか適当な後継者が見つからないで困っている。後事を託せる有為な人材がいないか必死になって目を凝らしているところだ。どなたか我こそはというお助けマンはいないだろうか。
                                          (了)                                          

2025年夏、北京、ハルビン、それから……。    髙田翔子                         

 通りはいかにも観光地といった雰囲気で、ロシア風の建物が並んでいる。とんでもなく長い串に刺さった羊肉を売る店や色とりどりのソフトクリーム屋が賑わっていた。iPhoneを開いて「地球の歩き方・中国東北部」のガイドブックを読む。このまま通りをゆくと大きな川がある。スンガリー(松花江)だ。新宿のロシア料理レストランの名前と一緒じゃないかと思い、次の瞬間、そうだ、ここから名前を取っているのだったと思い至る。

 2025年の夏、ハルビンにいた。折しも、中国各地で日本人学校の生徒の死傷事件が起きニュースになっていた頃。小学生の息子が教室で「夏休みに中国に行くんだ」と言うと、「生きて帰って来いよ!」と皆から声をかけられたという。何やら壮行会じみていて、面食らってしまう。とはいえ私もママ友の何人かに「本当に大丈夫?」と言われたのだった。

 北京からハルビンに向かう新幹線に乗った。車内はにぎやかだ。二等以上に乗れば、菓子や飲み物が配られる。グリーンに乗ってもせいぜい分厚いおしぼりだけの東海道新幹線よりサービスは充実している感じだ。自由に使える給湯器があってここでカップラーメンに湯を入れる乗客も多い。においの出るものは食べづらい日本の新幹線に慣れていると、その様子に戸惑ってしまうが、皆とてもうまそうに食べる。帰りは、駅でカップ麺を買ってから新幹線に乗った。ハルビンに着き、ホテルにチェックインする。ここは旧満州時代に満鉄が経営していたヤマトホテルの建物が使われている。中は薄暗く、長い廊下が続いていて改装される前の東京ステーションホテルみたいだ。部屋は愛新覚羅溥傑夫妻が泊まったというスイートルームの並びだった。十数年前に訪れた大連の旧ヤマトホテルとも似ている。当時の大連はまだ満州時代に作られた洋館の住宅が日本人街にたくさん残っていて、夏の暑い盛り友人と歩き回った。ふたたび「地球の歩き方」を読むと、大連は近年開発が進み、日本人居住区エリアの古い建物は少なくなっているとある。もうあの景色は見られないのか。ハルビンの街はまだ、ロシア人の建てたアールヌーヴォー調の建物がそこかしこに残っていて街歩きが楽しい。私はこの街が気に入ってしまった。職場にハルビン出身の新人がいて「夏のビール祭り、冬の氷まつりもいいですよ」という。季節を変えてまた来たい。翌日、新幹線で長春に移動した。街に出ると、国会議事堂によく似た旧満州国務院。向かいには、九段会館や名古屋県庁のような帝冠様式の旧満州国軍事部。それらの建物は、そのまま居抜きで吉林大学の建物になっている。日本統治時代の都市計画の壮大さと異様さに、なんと途方もない、とんでもないことをしてしまったのだとしばらくぼんやりとしてしまった。長春にもヤマトホテルが残っているが、こちらは満室で泊まれなかった。ホテルの前に出店が出て、昼食どきに食べられるようなものを売っている。買い物中のおじいさんに「どこから来たんだ?」と、声をかけられた。一瞬身構えてしまう。とはいえ、とっさに嘘をつくわけにもいかず正直に答えた。おじいさんは「そうか。これがうまいよ」と、大きな餡まんを指さして教えてくれる。帰りの新幹線で食べようといくつか買った。「今の中国どうだった?」「危なくないの?」。帰国してから友人、知人に何度も聞かれるが、思い浮かぶのは、饅頭をすすめてくれたあの老人の顔ばかりなのだ。