日常の会話で交わす冠婚葬祭とは、俗に結婚式と葬式を意味しています。
ものの本によりますと、そもそも冠とは15歳になった男児の元服を意味していました。冠はどこにあるのか。今では僅かに皇室で行われる立太子礼で親王殿下の頭上に認めることができます。古には、宮中、公家、豪族、豪農豪商などの社会では、豪勢な冠の行事が執り行われたのでありましょう。
今では元服の習いは廃れて、成人式を指すことになりました。元服の時代と異なり、親戚縁者からの贈答品やご祝儀(お金)を贈る習慣はすたれてしまいました。家庭で祝う習慣も確立せず、専ら地元の自治体などが催す式典に当人が出席する程度に留まっています。成人を迎えると、飲酒や喫煙の法的制限がなくなる、選挙権を得る、という法律的な認識がありますが、宗教色は全くありません。
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婚とは結婚式のことです。日本人の多くの花婿花嫁が選ぶ結婚式は、神社の神前で神主が執り行います。仏教の寺院で行う例はまれで、むしろ、キリスト教の教会で牧師や神父が執り行う結婚式を選ぶ例が多いようです。その選択肢は、当人たちの宗教観とは関係がありません。そのことより当日は、結婚式よりもその後に催される結婚披露宴のほうが重要視され盛大に執り行われます。それを生業とする専門化した業者が数多くあります。
昔は、花嫁を送り出す花嫁の実家、それを迎え入れる花婿の実家と、双方で数日を費やすどんちゃん騒ぎの限りを尽くした披露宴を行ったそうです。そのような贅の限りを尽くした騒ぎは、財界人、政治家、芸能人たちの家族を除けば、鳴りを治めたように感じられます。最近では、宗教色は消え、仲人を立てる形式も減り、人前式のような形式も見られるようです。
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葬とは葬式のことです。日本人の多くは、先祖から受け継いできた菩提寺で、住職の引導を受けて冥界に入るわけですが、最近では、遺体の納棺、葬儀、火葬、納骨までの一連のサービスを取り扱う業界が発達してきました。突然遭遇する臨終とその後につながる葬儀に速やかに対応するため、業者と医療施設との間に連携された関係も見られます。大家族の家庭では対応が容易だった葬儀が、小家族では対応が困難な時代になりました。葬儀会社は、そのような時代的な風潮を反映した存在です。葬式仏教と言われる日本の仏教ですが、実は寺院は葬式すら自力で出来る能力を失っているのです。こんなことでは、宗教としての存在感がありませんね。
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祭とは先祖の霊を祀る行事の全般を指しています。亡くなった人のために催される一周忌、三回忌、七回忌、十三回忌・・・などの法事や、お彼岸、お盆などの行事のことです。これらの行事は、予定を立てて扱うことができるので、準備がしやすく、様々な様式化や儀式化が残っております。お盆などに帰省して祖先の霊を祀ることで一族縁者の絆を深めようとする日本人もまだ数多く見られます。
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以上、冠婚葬祭の4文字のいずれも、人が生まれてから亡くなった後に行われる行事を含めた扱われ方を示していることがわかります。もともとは儒教の教えが含まれていたのだそうですが、その後、神道や仏教の慣習の中に組み込まれて、我が国独特の形になったと思われます。この慣習は、日本にかぎらず世界各国でも行われており、本来の宗教色が色濃い本来通りの習慣が保たれているところもあれば、今では、単なる通過儀礼に扱われているところもあります。
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会社勤めで過ごした海外生活の体験からわかることは、冠婚葬祭の慣習は文明国よりも後進国、都会よりも地方のほうに、派手で盛大、冗長の傾向が見られます。
例えば、米欧各国は、当人たちが日常出入りしている教会において、牧師や神父が主宰する神前の結婚式に親兄弟、親戚縁者、友人知人が参列し、ご両人が神に誓いを述べてお終い、という例が殆どです。式が済むと参列者の祝福を受けて二人はハネムーンの旅に出てしまいます。別の日に家族だけで、あるいは友人たちとだけで、お祝いの席を設けることがありますが、つましいもののようです。その点、後進国では、文字通り何日間も、親戚縁者、近郷近在の友人知人を集めて、飲み食いを伴うどんちゃん騒ぎを繰り広げるのです。
一方、お葬式も、欧米各国では簡素に行われています。教会の祭壇に棺が置かれ、牧師や神父が主宰する式が終わると、棺は墓地に直行し、寺の墓守の手で葬られて葬儀はお終いです。これが、後進国であれば、やはり、飲み食いを伴うどんちゃん騒ぎが延々と続くわけです。
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日本は文明国であるのに、昔の因習に縛られて、冠婚葬祭は後進国並みの風習を続けてきました。でも、時代の変化を見ると、日本も遅ればせながら、先進国並みの風習に移りつつあるようです。高級ホテルなどの披露宴や葬儀会社による葬式の慣習は消えていくだろう、そのような流れを感じますね。
